物語の始まり

島崎 藤村の夜明け前「木曾路はすべて山の中である」みたいにカッコよい書き出しは、だれでもあこがれるけれど時代は許してくれない。ちょっと重すぎて現代の読者はちょっと引いてしまう。
よくある手法で自然なのは、誰かに物語を語ってもらうことだと思う。ヘンリージェイムスのねじの回転のように、クリスマスに聖夜を祝う夕食で暖炉を囲んで ひとりずつ体験談や怪談を披露するという形をとったりするのも楽しい。
はたまた、リリアン・ヘルマンの短編集『ペンティメント』のように老いた作者が過去の出来事を静かに語り始めるのも威厳がある。古くなってペイントが透き通ってきた絵のような、淡い色調の、輪郭の曖昧な、層のように積み重なったさまざまな出来事から、その奥に生きた人々を描き出そうとした書き出しもカッコいいと思う。作品のなかでも「ジュリア」は「ベルリンに闘争資金を運ぶ」という物語の大きな筋があって、1977に映画化された。その冒頭の回想シーンは物語の始まりをダイナミックさを彷彿とさせる。
国内では村上春樹の「ノルウエイの森」のドイツ・ハンブルグ空港の航空機の中での音楽と物語を結びつける回想シーンなどはよく知られていますよね。ビートルズの軽快なインドの民族楽器であるシタールの旋律の世界を引き出しにするなんてずるいとも思うが、先にやられてしまっては仕方がない。

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